アタッカーズ タイトル

<<HOME <監督の机 <オートバイ <免許の道のり 
オートバイ
まる 免許の道のり
まる GSX1400
・集合管取付記
アーシング取付記

排気量制限なしヽ(^o^)丿
中学3年生の時に、ナナハンライダーの影響でバイク好きになり、主人公の早川光くんのように16歳で750ccに乗るのが夢でした。
 当時は唯一の綾瀬市内某県立高校(バレたかな?)在学中、夢に向かって?せっせと免許取得に励みました。勿論、小市民なので教習所で免許は買えず、学校へは風邪を引いたと偽り(ゴメンナサイ)すべて二俣川運転免許試験所へ通い取得しました。

追記:そう云えば早川光君は高校2年生でした。と言うことは17歳??
ずーっと勘違いしていたかも知れません。漫画も全巻持っていたのに(^^ゞ
 
栄光の?免許への道のり
・原付
S58年11月 16歳の誕生日を待って直ぐに取得。45点のぎりぎり合格!
・小型自動二輪
学科はこれまたぎりぎりの90点で1発合格。(かなりアホや・・・)
実技は4回もかかってしまいました。
試験車両−4回とも HONDA CB125T
・中型自動二輪
高1の2月、2回で合格。
この当時の中型移行審査は指定日が無かったので、1回目は学校は半日サボり、2回目は翌日の県立高の入試試験休みを使いました)
試験車両:1回目−ホーク2 2回目−GS400E
・大型自動二輪(限定解除)
高2の10月、急がないと16歳で限定解除が取れないと気づき、再び二俣川運転免許試験所へ通いました。
事前審査は1回で合格、実技試験はなんと3回で合格しました。
この当時、3ナイ運動(免許を取らない・バイクを買わない・バイクに乗らナイ(乗らせナイ))と言う、車社会日本に逆行するとんでもない馬鹿げた発想の運動があったため、その影響か試験所も相当難しくなっていたようです。
二俣川試験所は不合格率では全国トップクラスと言う噂もあって程です。
特に限定解除は、その当時平均10回とも15回とも云われていました。その中で3回で合格できたので超ラッキーでしたが、16歳には間に合わず17歳と2日になっていました。
事前審査:
試験車両はGS750Gであっと驚きました。 当日しては先端技術のシャフトドライブで乾燥重量249kgのモンスターバイクです。
エンジンガード(って云うか、あれはバンパーだな)、さらに試験車両用の補助灯などがたらふく装備されていたので、ガソリンがカラでも軽く270kgはオーバーしていたと思います。
実技試験:
1回目はGS750E。一本橋で落ちて不合格。
2回目はGS750G。完走はしたけれど、加速不良だ安全確認だ、あーだこーだと言われて不合格。魔の4番試験官でした。(知る人ぞ知る)
3回目はなんとGT750(水冷2サイクル3気筒 ウォーターバッファローと言われたいた代物 しかもメーターはフルスケール240km!私の年代でも殆ど知らないバイクです)。
この時は、加速・減速・安全確認、を必要以上にオーバーにやったら合格してしまいました。しかも、満点合格です!
実は、CB705K(DOHC、65PS、4本マフラーが特徴)が新車で導入されたばかりだったので次はあれに乗りたいな、って思っていたので乗れずじまいの嬉しい出来事でした。

このページのTOP